sotsuron

| コメント(1) | トラックバック(0)


卒論終わり。



もう殆どやっつけになってしまったが、

取り合えず、形にはなっているはず。

昨日の晩から途中うとうとしながらも、

いつの間にか日の出を迎えながらシコシコ編集してた。



何か気持ち少し不甲斐無さが漂いながらも、

もう、再度確認する気力もなくなった。

文才に富んでるわけではないし、

正直論文という形式で本制作を進めるのは正直しんどかった。

でもまぁしんどい傍ら、いろいろ勉強になることも多く、

人生の糧としては、大いなるものを得たという感じ。



勉学に打ち込むことって学生までにしか出来ないと思う。

仕事を始めたら、周囲との係わり合いを重視しなければならん。

まぁ、出来るときにやっとけって話よね。

仕事しだしたらそんな時間もなくなるだろし。



うーん、卒論の総括を述べるならば、

良かったの一言に尽きるな。



―――――――――――――――



今日は祖母のお通夜でした。

式の最中いろいろ回想しながら、

思い出に浸っていた。



綺麗事を言うなれば、自分の中で故人は生き続けるってこと。



お坊さんがおっしゃった言葉にジーンときた。



これは俺の解釈。



人はいつか死ぬ。いつか。でもそのいつかはいつくるのかわからない。もしかしたら一寸先に訪れるものかもしれない。人は死ぬ。そしてその周りはその死に対して悲しむ。人の死を見届けるということは故人と出会うということだ。故人と出会うことによって悲しみがうまれる。

人はいつか死ぬ。その死を迎えるまでにさまざまな人と出会う。その中でも人を忌み嫌い合うことは少しはあるのかもしれない。その人にももちろん死は訪れることで避けられることではない。

もし忌み嫌う人がいてその人の死が分かりえたとしたら、そういう態度で接することができようか。人はいつ死ぬか分からない。だからこそ、忌み嫌うことなく、一つ一つの出会いを大切にしていくべきである。人はいつかという言葉に甘えているから。





心に染みる説教だった。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://blog.intelligentlemanlike.net/mt/mt-tb.cgi/393

コメント(1)

色々あったのに、お疲れ様でした〜



>いろんな人の発表を聴いてとても感心。

>N村T晴くんは人にはいろいろ痛いとこを突く一方で、

>自分自身の研究があまり進んでなかったこと

>(まぁ忙しかったんだよね)

>を隠し通すのが上手いなぁと改めて感心させられましたw

>プゲラ



いや、隠してないっす!w

ちゃんと謝ったしw

って、本当身内のみに許される、内容がないのに勢いだけのプレゼンとかいい加減辞めたいですよね・・・

来年度こそは内容のあるものを・・・

コメントする

 
To ホーム

最近のコメント

2009年11月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

アーカイブ

タグクラウド

このブログ記事について

このページは、pemaiが2006年1月30日 21:51に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「はなたばとおわかれと」です。

次のブログ記事は「映画でも見てきます」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。